この約10年間のあいだ、人生に何回もやってきたドン底。【家族編】
今年44歳になった。
諸事情により無職。
普通の人なら1つでもあるとキツイ出来事が、何故か私の10年にはたくさんあった。
10年前のスタートは、ちょうど仕事で賞をもらい海外へ飛び、
プライベートでは7歳年下の彼氏とスピード結婚。
「ずっとフラフラしてたから、やっと両親を安心させれたなぁ。」と、
自分のことながら、動揺してしまうくらい公私ともに順風満帆な年だった。
そこから翌年急に転落したこの不幸のフルコースを振り返ってみるも、
都度試行錯誤して進んできて、今、意外と穏やかで楽しい気持ちでいる。
そんな中年女が、どんな不幸に何を思い乗り越えてきたのか、
興味がある方だけにでも読んでもらうことで、このフルコースが少しでも報われることを願う。
年下夫の不倫による離婚。自力で慰謝料請求に成功。
この年下旦那は、私の一目惚れに近く、
すぐに付き合って結婚できたことに自分でもビックリしていた。
ただ、1年が経過したころ、夫がだんだん家に帰って来なくなり、
話し合いもまともに応じてもらえず、苦しみに苦しんだ。
あの頃凄く感じたのは、
「もともと一人なのは全然良い。ただ(法律的に)二人なはずなのに一人で待つのは心底辛い、これは寂しい。」と。
フルタイムで仕事をしながらも、滅多に家に帰らず、帰ってもすれ違いの生活になる夫。
それでも、どん底まで苦しんで考えたらどっかで切り替わる。

もういいや、あっちに愛情はなさそうだから、お金もらって別れよう。
恋愛や結婚は『相手があるもの』なので、自分がどう願ってもダメなもんはダメなのだ。
だったら、どういう別れなら自分が納得できるか?
不倫は(そのときから既にあり)あとで発覚した話だが、
それ以前からずっと抱えてた問題が、
日本の夫婦に多いであろう【家事の量の不公平】。
「これで子供でも出来たらますます私の不満が募る。」と思い、
どうにかしようと話し合いを求めるも、
夫からは【夫婦として話し合う努力】を完全に放棄されていた。
ということは、
この先何があっても私が我慢しないといけない、それで良いはずが無い。
もし夫の逃げ癖や怠慢で離婚することになれば
そこに対する謝罪と離婚条件をキチンとさせないと悔いが残る…と考えたら、
私は慰謝料をもらえば気が済むという考えに行き着く。



我ながら、恋より金に目が無い女で良かった。
こうして、忘れもしない、仕事でもセール期で忙しいときに
仕事から帰ったらヘトヘトにも関わらず、毎日法律などを調べ、
夫から慰謝料を取ることに成功したのだ。
私にとって慰謝料は、予想以上に効力を発揮した。
ふたりで住んだ家を離れて、自分の好きな家にすぐ引っ越せた。
もうひとつ、この慰謝料で病気の母との時間を買った。
余命は数年前からわかっていたので、
母との残り時間のためにその慰謝料のこり全部を数か月の家賃と生活費と考え、お金の心配無く母や家族との時間を過ごすことが出来た。
今振り返っても、人生の中で濃密でかけがえが無い、幸せな家族の時間だった。
クソ夫はさっさと不倫相手と再婚したけど、私は感謝してるぐらいだ。
約2年間、年下イケメンと結婚してお金をもらうという、
ちょっとしたラッキーなイベントだったな、と今でこそ言える。


立て続けに両親の他界。身内の死に心の整理をつける。
離婚から約半年後、母が亡くなる。
母が闘病していたのはずっと前からわかってたことなので、
私も母も家族も、いつか母を送り出すことはわかった上で過ごしていた。
母はきちんと方々に色々準備をしていた。
それはまた別の機会に書くとする。
母が亡くなったときも、やはり亡くなる直前が一番精神的に辛かった。
本当に覚悟を決めないといけない時間だからだ。
不倫夫からはお金を取るというゴール設定後は
一転して霧が晴れたみたいに冷徹に、やるべきことをどんどんこなせたが、
親の死はそうもいかない。
ただ最後まで付き添えたことに満足はしていた。
その2年後に祖母が亡くなり、
その3年後には父が亡くなった。
父のときは本当に突然だった。
当時の私の仕事先に、弟の奥さんから電話がかかり、
早退して急遽駆け付けたがもう遅かった。
実はその翌日私は父と食事に行く予定で、父は凄く楽しみにしていた。
それが、その前日にゴルフに行っていた途中心筋梗塞になり、
ゴルフ仲間に囲まれて一瞬でスッと眠るように亡くなった。
とても悲しかった。
これで両親がふたりとも居なくなってしまった。
弟は居るが仲が良いわけでもなく、
「ああ、これで後ろ盾が何もなくなってしまった。」
と思った。
ときに父には、何でもっと生前優しくできなかったのだろう、と。
沈む私の気持ちとは裏腹に、桜が満開の晴れた日だった。
こんなときなのに、たまたま前もって計画していて料金も支払い済みのひとり旅があったので、
葬式から2日後には私は旅行をしていた。
四国のドデカい大塚美術館で1日数千点の芸術を見ることに勤しみ、
翌日はドラゴンクエストアイランドに行ってデスピサロを倒してきた。
ちなみに母の死の翌週も、前以て買っていたドラゴンクエストのオーケストラのコンサートに行った。
そんな中で



ああ、人生ってドラクエだな。今ここからがそうなのか。
なんておぼろげに思った記憶がある。
繰り返し言うが、ドラゴンクエストアイランドも『一人』だ。
(そして何故か高校の頃熱狂した超有名バンドマンもプライベートでちょうど来てたw)
そのとき現地で会ったシャトルバスの運転手のオジサンが良い人で、心が温まったのを覚えてる。
そしてちょっと考えた。
ちょっと遊んで気が逸れたのか、
客観的に、冷静に考えてみたらこんな結論に至った。



亡くなったけど、両親は、幸せに人生を終えたと思う。
良い時代に生まれ、離婚もしないで、
年を取って長く苦しむようなことも無く。
父なんて大好きなゴルフの最中ときたらもう本望だったのではないかとすら思う。
そう思うと、あとは私が両親を悲しませない生き方をするまでだ。
幸い、私には両親以外の家族や親戚は心の救いになる存在だし、
仕事では常に恵まれない人間関係にあったが、この1年ぐらいだけはたまたまとても平穏だった。
結局そのときはどん底に長居するようなことも無く、旅行の終了と同時に社会復帰を果たした。
両親の死を経験して思ったのは、もちろん寂しいけど
死に対する『納得感』と『自立心』が大事だったのだと思う。
もちろん寂しくないわけでは無いが、
自宅でも供養したり、両親を思い出すものを家に散りばめて暮らしている。
それもまた、私が独りだから誰にも気兼ねなくできるのだろう。
こうして悲しい出来事に自分で折り合いはつけてきたものの、
仕事関係もまた光と闇を酷く行き来し、40代で解雇…..
自分で言うのもなんだが、
成績も良く前向きにやってきたような私が無職で44歳を迎えて誕生日にこんな反省会をしている。
お付き合いいただける方は、後編~仕事編~ まで是非見ていってほしい。

