死別・離婚・パワハラ・休職…ドン底祭り40代女の反省会 【後編】

目次

この約10年間のあいだ、人生に何回もやってきたドン底。【職場編】

今年44歳になった。

諸事情により無職。

普通の人なら1つでもあるとキツイ出来事が、何故か私の10年にはたくさんあった。

前編は主に『不倫離婚・死別』に向き合ったお話です。

そして後編は10年で3回も起こったパワハラによる休職と退職の話をしようと思う。

1度目のどん底:13人の女性派閥と、社内政治の壁

今となると対して詳細まで覚えてないが、初めての適応障害は、外資系ブランドに副店長として勤めていたときだ。

女性だけで13人もいた職場なので、派閥ができてしまい、

社内政治が下手な私は追いやられたという話だ。

仕事はどこでも真面目にやって結果を出した。

ただ、仕事以外にそこまで気が回らない一面もあり、知らぬ間に敵を作っていた。

正直、私に目をつけて攻撃してくる人はみんな、神経質で沸点が低い人が多く、

私から見て「仕事ができて羨ましい人」なんて一人もいなかった。

滑稽なことに私は3回も、

同じような人たちに同じような理由で怒りを買い、意地悪に合い、

何度同じ気持ちを味わっても上手く立ち回れなかったことから職場を転々とする。

人生初の適応障害は、主治医のアドバイスが「とにかく転職しろ」だったので、

私はそれを素直に聞き入れ、

独自の立ち直り方によって、比較的早く復活、3ヶ月で転職と同時に社会復帰を果たせた。

2度目のどん底:逃げ場所だったはずのメンズ店で起きたこと

当時、私は男性とビジネスの話をすることがすごく好きだった。

だからよく仕事の話が好きな男性と代わる代わるご飯に行ってた。

女性が多い環境だと、仕事と無関係なところや感情的なもので足を引っ張られるので、

今後は男性の職場で働けば問題無いじゃないか!と思い、

男女混合店舗のメンズ所属スタッフとして働いた。

前述したとおり、男性と雑談や会話をすることに何の抵抗も無かった。

少年漫画が趣味なのもあり、男性のほうが話しやすく

その転職はしばらく順調だった、が

メンズカテゴリに入って来た女性スタッフと折り合いが合わなくなった。

私がいつもやられる女性のタイプって、

周りまでしっかり仲間につけて、ターゲットを不安に陥れるのが本当に上手いし、

挨拶を無視するとか、私にだけわかるようにやるのが本当に上手い。

結局、1年くらいは我慢したものの、

色んなことが重なり耐えきれず適応障害2度目の発症。

そのときの適応障害での休職は本当に悩んだ。

職場や仕事は好きだったから辞める決断が付かなかった。

半年間悩みに悩んで、

復職と転職の間を揺れに揺れてた。

結局上司が提案してきたのは他県への異動。

それは私にとって不利な話でもなく、

引っ越し経費などの負担も全部してもらえることで感謝してその辞令を受けたのだが・・・

そこがまた、

「常に人が辞めていき、慢性人手不足で転勤で人を補充する」のが当たり前の店だった。

今思えばあれば「追い出し部屋」たっだかもしれない。

私は最終調整として少し休んで新しい店舗で復職。

そのときの休職は9ヶ月だった。

3度目のどん底:パワハラ地獄の果て、解雇される

次の店舗は、価値観が昭和で止まった店舗だった。

信じられないようなマイルールや

パワハラに該当するような叱責が日常茶飯事。

はじめは一部のお局と上手くいかない程度だったが、

だんだんサイコパスな管理職やいろいろ出てきて、あっという間に四面楚歌になっていく。

桃鉄でいうとボンビラス星よ。

スリの銀次にキャリアをすべて奪われて、

あんなに苦しんで苦しんで辿り着いたのがボンビラスの世界・・・

始めは頑張って、新しい環境でも売り上げで頭角を現したり

顧客さんも早いペースでできて順調だった。

しかしこの店では、

ミスが起こったときの吊し上げが凄く、

自分がやられても、人がやられるのをみていても

決して気持ちが良いものではなかった。

どう考えても論理的におかしい、という不満が溜まって上司に意見するたびに

私は見る見る立場が悪くなっていった。

さらにボンビラスの世界では序列が厳しいので、

私は実質新卒の若い人より下っ端として、アルバイト以下の仕事から始まり。

若い人はむしろみんな優しかったが、

古株の作った世界の序列ではそうもいかなかった。

毎日売り場に立たない雑用をメインにやる。

文房具数えたりゴミ捨てに行ったり・・というのは、

社歴も中堅で業界キャリア25年の身からしたら

今までのキャリアがひとつも役に立ってないどころか

毎日自尊心がけずられていった。

今思えばこの会社にいた7年は、それまでの経験が接客しか活かせなかった。

どんどんキャリアダウンしていってるような感覚がいつもあった。

ハッキリ言って、お給料は高めにもらっていたから辞めれなかったものの、

スタッフ教育や目立つ仕事からは遠ざけられ、

私のキャリアを上手く使ってくれる上司に出会えなかった。

そしてボンビラス星の話に戻るが、

あまりにも理不尽や暴言が当たり前に飛び交う店だったので、

自己防衛としてボイスレコーダーを持ちながら働いた。

上司はアホばかりだったので、毎日が録音のゴールデンタイムだった。

新しく入った人も気に入らねば虐めて、

その証言も録音して、だいぶ証拠が溜まってきたころ、

本社に伝わり、危険人物とみなされて、適当な理由をつけて解雇を言い渡された。

その前に私もパワハラ窓口に相談をしていたのに、それはすべてスルーされていた。

今思えば「追い出された」ことで「守られた」ような側面もある。

話し合いの場では事実無根なことも言われたし、人格否定もされた。

あきらかに不当解雇だが、

まとまったお金を払うと言われたので、

本当に悲しかったけど、この日々が終わることにどこか安堵したのもあって受け入れた。

そこからの私が、気晴らしに行ったひとり海外旅行で価値観が変わった!という話を別ブログでも書いているので

良かったら「無職になったドン底の台湾旅行での立ち直り」まで見届けてやってください・・・

『負のオンパレード』みたいな10年を経た私の感想

前編から私の人生の出来事を書いてきたが、世間的に見てけっこう辛め(笑)ではないか。

でも今は、護身用のボイスレコーダーを捨て、今は中国語のテキストを広げ、

哲学に耽り、こうして自分の言葉で文章を書いている。

もし私が器用に社内政治をこなし、アホな上司に媚びて立場を守り続けていたら、一生出会えなかった自分だ。

どのジャンルにおいても、何回も酷い目にあっても、
だからって自分の価値が落ちていくわけじゃないね。

私は何回も転んで、ようやく「自分の人生」を歩き始めた。

そして辛い時に絶対的にやってきたことは、

とにかくその事象について、考えまくること。

場当たり的なポジティブじゃなくて、嫌なことや悲惨なことからも目をそらさずに、

あらゆる角度から、

どしてこうなったのか?

どう考えれば自分は納得がいくのか?

腹落ちするまであれこれ考えるのだ。

自分の頭で考えて結論が出せなくなると、何が起きても他人のせいにして、

自分の不幸からずっと出られなくなるし、どんどん視野が狭くなる。

自分で物が考えられないということは、

結局世間の基準に合わせて生きて行かないと常に不安が付きまとうことになる。

一見辛い経験は、

自分に思考力をつけ、自分なりの概念をつくる欠片となってくれる。

その繰り返しが、自分の人生を上手く生きる知性や、

色々乗り越えた人間の深みをもたらしてくれるのだろう、と思う。

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